蓼科山
山行記録  [ back ]

フリガナ  タテシナヤマ
山域・山名  蓼科山 (2530m)
日   時  1995年6月25日(日)
天   候  晴れ
行   程 登山道入り口(10:45)−七合目登山口(11:00) −将軍平(12:30-45)−蓼科山山頂(13:30-14:48)−将軍平(13:18-27)−登山口(16:05)
所 在 地  長野県  茅野市、北佐久郡立科町
2.5万図  蓼科山
緯   度  36.0602
経   度  138.1753
備   考  


 集合場所に7時ということで家を出発。熱函道路トンネル付近にて突然腸の活動が活発になり、料金所を過ぎてトイレに駆け込む。予定外の行動に多少時間を費やしてしまう。
 心持ち焦りながらアクセルをふみ、逓信病院のところまで来ると朝早いと言うのに多少渋滞している。その先の交差点で事故。7時10分集合場所着。10分の遅刻で皆さんを待たせてしまう。

 予定より15分遅れで蓼科に向かって出発。道路は渋滞もなく、中央高速八ケ岳PAで休憩。
 いつもの事ながら、ここまでは道路も登り坂なので愛車スペクトロンのパワー不足を痛切に感じる。

 諏訪ICを降りて大門街道を通り、急な登りの連続に七合目登山口に到着したときにはオーバーヒート寸前までラジエーターの温度が上がってしまった。登山口にはかなり車が止まっていり、我々は今日最後の登山者かもしれない。

 11時登山開始。最初から急坂の連続。おまけに道は荒れていて石だらけのがれ道でとても歩きにくい。
 本によると昭和34年の秋の台風でひどい山抜けがあり、その姿がいまもなまなましいと書いてあるがまったくその通りである。平らなところがなく急登のまま将軍平に到着。

 ここには山小屋蓼科山荘があり営業していた。かなりの登山者が休憩しており、既に蓼科山に登ってきた帰りの様だ。
 ここで我々も暫しの休憩をとる。ここからさらに急登を登り切り蓼科山頂に到着。

蓼科山山頂にて

 時間的に遅いせいか、頂上には我々以外には1人位しか見あたらない。頂上にも山小屋があるが営業はしていなかった。
 天気もまあまあで八ケ岳もたいへんよくとまではいえないが、なかなかよく見える。
 皆で昼食をとり頂上を一周して頂上にある蓼科神社でお参りを済ませ下山の準備にとりかかる。

 元来た道を引き返し将軍平で二手に分かれることにする。
 地図によるとこのまま元来た道を七合目登山口まで戻るよりは大河原ヒュッテに下るほうが距離的にも近いし、同じコースを通らなくてもよいので私と杉本さんは元来た道を引き返し、車で大河原ヒュッテまで行き、他の5人と合流することにする。
 将軍平から半ば小走り気味に下山すること35分で駐車場に到着。

 車に乗り一路5人が待つ大河原ヒュッテに向かう。大河原ヒュッテまでの道は砂利道で、かなり慎重な運転が強いられる。途中、斜面の下に車が落っこちていて警察がなにやらやっていた。

 16時30分大河原ヒュッテ着。ジュースを買い込み二人でもう着くだろうとジュースを飲みながら待っているがなかなか降りてこない。多少心配になり、途中まで迎えにいくことにする。登りはじめてまもなく降りてくる人影がみえる。
 16時50分全員無事大河原ヒュッテに到着。この大河原ヒュッテは大変雰囲気のよいところである。山小屋の人の話によればここからは妙高まで一望できるとの事である。

 17時15分一路蓼科温泉に向かって出発。来た道とは別にピラタスロープウェイの方を回ってどっか入浴だけ出来る温泉はないかと探しながら走る。ちょうど町営の蓼科温泉浴場の看板が目に入る。ここで温泉に入り登山の汗を流し、さっぱりしてそばやで夕食を食べる。
 山に登って温泉にはいり、やはり最後は冷たいビールでグィーと一杯最高に幸せである。
 ここで運転を杉本氏と交代。一路自宅をして夜の中央フリーウェイを快調に走り抜け、22時10分着。
 


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