山行記録 [ back ] |
フリガナ | ヤンブシ |
山域・山名 | 山伏 2013m |
日 時 | 1997年(平成9年)1月2日木曜日から3日金曜日 |
天 候 | |
行 程 | 1月2日 新田(9:50)−大谷階段ダム群(10:48)−扇の要(11:15)−新窪乗越(12:30-45)−扇の要(13:19)−昼食(13:30-14:00)−新田(14:57) 1月3日 登山口(9:25)−大岩(9:59)−よもぎ峠(10:42)−見晴台(11:20)−山伏岳(12:20)−昼食−見晴台(13:17)−よもぎ峠(13:34)−水場(13:44-14:09)−大岩(14:22)−登山口(14:45) |
所 在 地 | 山梨県南巨摩郡早川町、静岡県静岡市 |
2.5万図 | 梅ヶ島 |
緯 度 | 35.1805 |
経 度 | 138.1718 |
備 考 |
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昨年の11月、十枚山に行ったときに地元の人に「向こうに見えているのが山伏岳と言い、地元で一番人気のある山だ」と教えてもらっていたので、今年の正月に登る事にする。 昨夜の雨も明け方には上がり、天気も回復の方向へと向かっている。現地に着くころには青空が広がり、絶好の登山日和である。 山伏岳は大谷崩・西日影沢・牛首そして井川の方から登る4つのルートがある。 車を止めて出発準備に取りかかるが雲一つない晴天のため、カッパ、アイゼンは置いて行くことにする。(出発時 快晴 風弱く 気温4度 ちょっぴり肌寒い) 林道を歩き始めると左側は別荘地になっている。舗装されたアスファルト道を2人でてくてく歩いていくと数台の観光客らしき車が通り過ぎていく。大谷崩れでも見に行くのであろうか。 下から見上げると、大谷崩はまさに微妙なバランスの上にようやく踏みとどまっているとしか思われない。地震などなんらかの刺激によっていつ一度に下に向かって押し寄せて来てもおかしくないような状態である。 静岡新聞96.8.10の静岡の災害史にも1707年(宝永4)の宝永地震によって、大谷崩は空前の大崩壊がおこり、土石流は大谷川の下流にある仏山の森林になだれこみ、川を堰き止め、13ヘクタールの池を造出し、我々が車を止めた新田の集落もこの地震によって押し寄せた大谷崩の土石が段丘を形成してその上に人が住んで村として発達したと書いてある。 その砂防ダムを1つ越えると扇の要という看板が立っている。ここからしばらく雑木の中を歩き、本格的な登りとなる。おおいかぶさるような大谷崩のガレた急斜面を落石に気を付けながらひたすら上を目指して登っていく。
大谷崩の稜線にでたところが新窪乗越だ。あいかわらず雪が舞い、風は不気味な音をたてて吹き抜けている。気温はマイナス3度まで下がっており、とても寒い。 元来た道を引き返して、大谷崩入口のところで昼食をとる。相変わらず雪がちらついていて寒い。 こじんまりとした民宿でまだ新しく、良い感じである。 風呂から上がってビールをもらって部屋に帰りさっそく一杯やる。いつものことながら山から帰って風呂にはいり、冷たいビールを「グイッと1パイ」 う−ん最高! 夕食の時、地元の鉄砲打ちの人達がいて、コツ酒をご馳走になり、山伏の話を聞いて明日もう一度、西日影沢より山伏岳をめざして敗者復活戦に望むことにする。 1月3日、宿を9:00発、西日影沢の駐車場にはかなり多くの車が止まっている。 駐車場から少し林道を歩くと登山口の看板が建っている。ワサビ用のモノレールが登山道の脇を縫うように上に向かって伸びている。西日影沢沿いに進むと、ところどころ岩から流れ落ちる水が凍ってつららになっている。 ここから急な道を登り、着いたところが見晴台。雪は相変わらずちらちら降っていて、風が吹くととても寒い。 山頂は二等三角点が設置されており、そのまわりには十字に測量用の板がおかれている。今年国土地理院でこの辺りの測量を行うらしい。 降っている雪の量はそれほどでもないが、風が強く横なぐり状態でとても寒い。温度計もマイナス7度を示している。我々以外には山頂にいる人もなく、写真を撮って風のないところへ引き返そうと、ザックから写真機をとりだすが、手がかじかんで思うようにならない。ようやくカメラを出して1枚写すと何か変な音がして動かない。寒さの為に壊れたのかと心配したが、2枚目以降は大丈夫なようだ。 山頂で昼食をとるつもりだったがとても寒くてダメなので下へ降って食べる事にする。 |
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