四阿山
山行記録  [ back ]

フリガナ アズマヤサン 
山域・山名 四阿山 2332.9m  
日   時 1997(平成 9)年10月18日(土)〜19日(日) 
天   候 晴れ 
行   程 四阿高原ホテル駐車場(7:27)−登山口(7:40)−七合目(2000m)(9:11)−鳥居峠コース合流(10:13)−四阿山山頂(10:22-11:30)−七合目(12:24-40)−登山口(13:40)−四阿高原ホテル駐車場(13:49) 
所 在 地 群馬県吾妻郡六合村、長野県上高井郡高山村
2.5万図 上野草津 
緯   度 36.3957 
経   度 138.3145 
備   考  


 夏の登山シーズンが終わると、山は秋の紅葉までの間、束の間の休息が訪れる。この時期、日本列島は秋雨前線の影響でぐずついた日が多くなるが、10月10日の体育の日あたりまでくると日本に停滞していた前線が南下して、連日秋晴れのよい天気が続くようになる。1年の内で一番気候のよい時期である。

 我々一行は『紅葉と展望』を楽しむために四阿山へと出かけて行った。
 今回大谷さんは息子の結婚式の為に欠席、久しぶりに中野女史が参加している。前回一緒に山へ行ったのはいつだったのか思い出せないくらい久しぶりである。
 曽我さんさん、藤生さん、中野さんの3人は、10日に茅ケ岳に登ってきたそうである。
 四阿山は群馬・長野両県にまたがり、深田久弥の「日本百名山」にも選ばれている。
 霧高原を経由して中央高速を須玉ICで降り、佐久甲州街道を抜け、本日の宿泊地真田屋を目指す。

 野辺山付近はまさに紅葉の真っ盛り、赤や黄色に色づいた木々が道の両側を彩っている。
 佐久市のセブンイレブンで明日の昼食を買い込んで、佐久ICから上信越自動車道にのり小諸ICで降りる。
 この時期17時を過ぎれば辺りは暗くなり、曲がりくねった湯の丸峠の道を越えて本日の宿泊地真田屋へ到着。

 玄関で迎えてくれた宿の主人は髭をはやし、「山に関する限りではこの辺りではうちが一番だ」と豪語している。
 受付を済ませて部屋の鍵をもらい階段を上がっていくと、なるほど廊下の壁には山に関する地図や写真、新聞の切抜きなどがあちらこちらに貼られている。
 部屋も2部屋用意してもらって12畳くらいある。ザックなどを置くようにちゃんと棚もついている。
 風呂もちゃんとした温泉で湯の花がういたりしている。
 夕食は一般の客と山の客とは別々である。山の客はテーブル、一般の客は座敷である。出て来るものが違うのか?料金が違うのか?よくわからないが、そう言えば、予約の時に「山登りですか」と聞かれ、「何をみましたか」と聞かれ新ハイキングの会員は1000円割引してくれると言っていた。
 ビールを2本注文して夕食を食べて部屋に帰り、日本シリーズ第1戦「西武×ヤクルト」を見て22時頃就寝。

 翌日5時40分に起床、6時に朝食を食べて出発準備にとりかかる。今日は最高の天気になりそうである。
 ここで杉本さん「雨が降らないからカッパはおいていく」と言い出した。ついに出た十八番の台詞である。そのかわりジュースを6本だか持ったという。
  ザックの中身を点検し水筒に水を入れて宿を後にする。車のところで荷物を積み込んでいると後の4人がなかなか来ない。どうしたのかと思えば、宿の主人と話込んでいたらしい。中野さんなど「あんた独身か?」などと言われ、一歩間違えばこの宿の若?女将に置いてくるところだった。

 宿を出発して周りの景色を眺めると、空は一点の雲もなく晴れている。本来ならば鳥居峠から登るルートが一般的なのかもしれないが、時間的に余裕がないので、最短コースを往復するルートを登る事にした。

 四阿高原ホテルの駐車場に車をとめさせてもらい、ここから歩き始める。まだしばらくは未舗装の道が続いていて、この先私有地につき入山料を頂きますの看板が掛かって柵がしてあるところに出る。
 この柵を右側から回り込んで登山道へと入っていく。両側に木の繁っているところを歩いていくと熊笹が出てくる。夜露に濡れた熊笹の中を登っていくと放牧地へと辿りつく。
 ここまで来ると青空の中に北アルプスの長大な壁が白い雪を頂にまとった姿を目にする事が出来る。乗鞍、穂高、槍、白馬までずらっとならんですばらしい眺めである。
 この先又柵がしてあり、乗り越えたり、くぐったりして放牧地の中を進んでいく。道には大きな牛の糞が、あちらこちらにひからびて落ちていて、一種独特の臭いも漂っている。柵のなかには、いつも見る白黒の牛ではなくて、茶色や黒の食肉用の牛が放牧されて草を食べたり、水を飲んだりしている。
 藤生さんは犬を呼ぶようによんでいるが、振り向くだけで犬のように尻尾を降ってやってくるなんてことはない。「ぼくらはみんな、やがてお前らに食べられてしまうんだ」なんて思っているんでしょうかねぇ。

 牧場の中の真っ直ぐに延びた登山道を登り終わると、中尾根コースの標識が出てくるが、地図には出ていない。
 この辺りの石は赤茶けており、持ってみると大きさの割には軽く、あきらかに火山岩である。
 七合目の標識の辺りで景色を眺めながら、ちょっと長めの一服をとり、また熊笹の中の道を登りきると、八ケ岳の向こうに富士山が見えて来る。
 この先にもっこりと頂上が見えて、登っている人の姿も見える。もうひとがんばりである。平坦な熊笹を抜けると鳥居峠から来た道と合流し、まもなく頂上である。

 最初に上州祠があり、次に石室最後に信州祠が祭られている。山名の由来も、古事記の中に書かれている日本武尊が「吾妻はや」と弟の橘姫を忍んで呼んだという説と、山容があずま屋に似ているからという説があるが、昔から地元の人達の信仰の対象となっている山には間違いがない。
 とりあえず記念写真を撮って周りの景色を見渡してみる。真正面にもっこりとした浅間山、隣に黒斑山、その横に篭ノ登山から湯の丸山、烏帽子山、その向こうに八ケ岳、中央アルプス、御岳山、北アルプス、おそらく苗場山も見えているとは思うがどれがそうだか判らない。
 いずれにしても360度の大パノラマである。

 深田久弥先生は「ピッケル・ザイル党には向かないかもしれぬが、しみじみとした情緒を持った日本的な山である」と表現し、スキーを履いて登ったそうだが、今は当時の面影はないだろう。
 当時と変わらないものはこの山頂からの眺めくらいのものかもしれない。
 ここでちょっと早いが昼食を食べる。昨日コンビニで買ってきたパンを食べて、中野さんが作って来たニンニクとほたてをおすそ分けしてもらい、お湯を沸かしてコーヒーを飲んで、元来た道を引き返す。  

 駐車場にもどり、登山道具をしまって四阿高原ホテルで温泉に入る。入浴料は1人1000円とちょっと高めだけれど、内風呂と露天風呂があり、オーデコロンやくしまでおいてある。なかなか立派な風呂である。やはり山登りのあとは温泉に限る。

 帰りは遠回りになるが、上信越道を更埴経由で帰ることにする。距離は50キロくらい遠くなるが、時間的には1時間位短縮されるので、菅平方面に行くのには、この方が早いことがわかった。 岡谷の縁結で夕食に焼肉を食べる。私と杉本さんはビールを飲んでしまったので、ここから運転を曽我さんにかわってもらう。

 甲府南で降りようと思ったら出口が混んでいるので一宮御坂で降りて、御坂トンネルの手前まで来ると渋滞している。 こういう状況の時に、渋滞の中を辛抱強く行くか、裏道があれば多少遠くても迷わず入って行くか、大体2通りのタイプにわかれるが、曽我さんは後者の方らしく、ためらいもなく旧道御坂峠の道へと車を走らせる。曲がりくねった道を進むこと20分、ようやく本線に合流すると、なんと、さっき旧道で分かれる時に前を走っていた車のすぐ後ろに出るというまったくの偶然に出くわす。
結局は本線をのろのろと走ってきても、時間的には変わらないということだ。
 この後は渋滞もなく、スムーズに無事帰ってきた。

 こうしてスカッと晴れ渡った秋晴れの1日『紅葉と展望』の山旅は、大成功のうちに幕をとじたのでした。 


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